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アクティブラーニング&ICT最前線

ー21世紀型授業づくりへの挑戦。あと読書。ー

解説を考えさせる授業。

2013年度実践記録

自分の現在の授業形態を振り返ってみると、

 

ヒントや解答例のプリントを配っているのは、

「板書を写す時間の節約」と

「自分で解答を作成するときの参照例」

としてでした。

 

そして解答を先に配ってしまうことも、

「目の前にある問題が、今の時点で自力で解けなきゃいけないわけじゃない。

目指すところはとりあえず受験なのだから、

今はたとえ答えを見ようが、とにかく目の前の問題を自分なりに理解して、

今後、同じような問題に対応できるようになればそれでよい」

という考えによるものでした。

 

そして問題と解答を一緒に配ってしまうことに驚く先生には、

「手元に解答があるからといって、

『解答があるなら試験前だけ見ればいいや』

と授業に参加しなくなってしまう子や、

逆にいきなり解答を見て、写して、満足してしまう子は一人もいません。

 

どの子だって、自分に理解できるところまでは理解したいんです。

分かりたい、成長したいんです。

謎を解明したいのは本能であり、分からないことは悔しいことなんです。

 

それでもやらなくなるのは、悔しさを上回るくらい難しいから、

それくらい分からないからです。

 

だからヒントや解答のように、一つでも分かるきっかけがあるなら、

まして解答という一つの到達点が手元にあるなら、

安心して自分のペースで、自分が学べることを学んでいくんです。」

と説明しています。

 

子どもたちの中には、「ヒントちょうだい」と言う子がいる一方で、

「やり方教えて」という子がいて、

最初は、「やり方が分かればそれでいいのか。

やり方を聞いてその場は出来ても、分かったことにはならないぞ」

と思って嫌な顔をしてしまったのですが、

実は「やり方教えて」の子も、本当に欲しいのはヒントなんだと気づきました。

 

「やり方教えて」と言われたからと、手順を教えてしまうと、

「ふーん」と言って、つまらなそうに答えを出すんです。

 

でも手順でなく、「この問題と同じ考え方が使えるよ」とか、

「教科書のここの話を使うんだよ」と言うと、

すぐ身体が問題に戻るんです。

 

今まで手順を教えなかったことで、

「面倒くさい」とか、「そうじゃなくて解き方教えてよ」とか

言われたことはありません。

 

やり方を聞いちゃったゲームのつまらなさや、

オチを聞いちゃった物語(本・アニメ・マンガ)のつまらなさを

(でも自主的に2週目に入る場合は楽しい、というのは不思議ですよね)

ちゃんと知ってるんです。

 

 

話がそれました。

 

そういうわけで解答を問題と一緒に渡しているのですが、

 

でも実は私の授業が子どもたちに要求していることは、

 

「解答例の行間から解説を読み取る」

という重要かつ高度なことなのだと気が付きました。

 

気が付いてみれば、たしかに配布資料に「解説」が足りません。

 

もちろんそれは授業の中で行っているのですが、

子どもの手元にはありません。

 

そして私の解説を、手元の解答例に書き加えて、

自分なりの「解答・解説」を作っているのです。

 

ここでも「板書コピー時間の短縮」効果はあって、

解答例はすでに手元にあるので行間や横のスペースに、

解説だけを書けばよい、ということで労力が軽減され、

「写すのに精いっぱいで話を聴いてなかった」

という状況が起こりにくくなっているようです。

 

 

このやり方がベターなのかどうかは分かりませんが、

今の時点で気付いたこととして、記録しておく次第です。