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アクティブラーニング&ICT最前線

ー21世紀型授業づくりへの挑戦。あと読書。ー

岡本茂樹「反省させると犯罪者になります」

読書記録

 

反省させると犯罪者になります (新潮新書)

反省させると犯罪者になります (新潮新書)

 

 

最近、知り合いの先生方の間で話題の本を読んでみました。

 

筆者自身の、受刑者との関わりを通じて辿り着いた考え方、

反省「させる」ことは効果がない、

無理に抑圧させて、後の爆発の種を作るだけだ、

という主張はとても良く分かります。

 

反省「する」こと自体を否定しているわけではなく、

(むしろそれは必要なことだと主張している)

他者が、反省「させよう」と働きかけることの危険性を指摘しています。

 

特に、「目に見える形での反省」を性急に求めてしまう場合のリスクを。

 

 

とても良く分かるし、

自分の指導方針としても心掛けてはいます。

 

反省文なんて意味がないとは常々思っていますし、

どうしたら表面的でなく本質的な部分に変化を引き起こせるのかを、

いわゆる生活指導の面で日々悩んでいます。

 

あるいは学習指導においても、

動機付けという部分で同じような論が成り立つかもしれません。

 

外発的でなく、内発的な方が良い、という良く言われる話にも近い。

 

 

しかし。

 

現実的には厳しい。

 

自分の未熟さもあるのでしょうし、

周囲との共有をしていないことも原因だと思います。

 

「かくあるべし」「こうすべき」という「べき」論や善悪という、

時に意識的な、また時に無自覚な、信念にも近い価値観の問題でもあるだけに

踏み込みづらいところでもあります。

 

 

そして教師の場合、3年間しか関われないという問題もあります。

 

個人的にはここが一番難しさともどかしさとやり切れなさを感じる点です。

 

ある程度長く関わり続けられる親子であればまだしも。

(もちろん親子には親子の難しさがあるとは考えますが)

 

 

仮に、自主的な反省(変化、成長)を願って3年間待ち、

それでも全く変化が見えず、

まして卒業後に不幸な事態が起こってしまったら。

 

正直、そのとき、教師という仕事を続ける自信はありません。

 

そこで「やれるだけのことはやった」とはとても言えない。

 

かといって、押さえつけて強制して、

一見「まともな」振る舞いが出来るようになったとして、

そのことがどれだけ彼らの将来を明るくしてくれるのか。

 

この場合も同様に、もし卒業後に何かあったとしたら、

それを引き受けてなお教師を続けられる自信はありません。

 

そこで「こうするしかなかった」とはとても言えない。

 

 

あるいは、ある意味では「人の力で人を変えられるはずだ」

という考え自体がおこがましく、傲慢な思い上がりなのかもしれません。

 

しかしそこを信じなければ教師なんて出来ません。

 

「人は変われる。成長できるんだ。」と。

 

かと言ってそれを信じて何かをすると、

まさかの事態を受け止められない弱さにつながるというジレンマです。

 

そのとき心の声は色々と言うことでしょう。

「やれるだけのことはやったんだ。お前は悪くない。これも運命だ。」

 

「いや、あのとき違う対応をしていれば、この事態は避けられたかもしれない。」

 

「自分の行為がどんな結果をもたらすかなんて誰にも分からない。」

 

「これからどうするんだ。何食わぬ顔をして同じことを続けるのか。」

 

「それとも別の方法を試してみるのか。生徒は実験台か。」

 

「人を変えようと思えるほど、正しい方向に導けるほど、

お前は正しい人間なのか。絶対的な正しさはあるのか。」

 

「教育の責任は果たして取れるのか。どうやって。」

 

・・・何ともまぁ、実に希望のない、苦しい仕事です。

 

あるいはどんな仕事だって同じかもしれません。

 

さらに言えば、仕事でなく、ただ生きていくだけでも。

 

自分の行為が、他人にいかなる影響を与えるのか。

 

考えても答えはでない、時間しかそれに答えてくれない、

しかし考えずに生きることは無責任に思えてしまう。

 

でも、どんなに考えても、答えの糸口すら見えない。

 

 

このループを抜け出す方法は、おそらく、

 

「自分がやれるだけのことをやり尽くしても、

最悪の事態は起こりうる」

という事実を受け入れ、

 

それでもなお、自分にやれることを、

自分を信じて、しかし妄信せず、常に省察し、改善し、

 

効果を期待できる取り組みは何でもやり、

場合によっては、一見何もしないという「待つ」こともやり、

 

やれることをやったら、あとは結果を引き受けるのみ、

 

という境地に達することなのかなと思います。

 

それが簡単に出来ないから悩むわけですけどね。

 

 

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というところで終わるとあまりに希望がないので。

 

まぁ、ある意味で開き直ることも大切かなとは思っています。

 

 

「人が人に与えられる影響なんてちっぽけなものかもしれない。」

 

「影響を受ける側の人間だって、無批判に無防備に何でも受け取るわけじゃない」

 

「親はなくとも子は育つ」

 

「どうしようもない奴だって、30も過ぎれば意外とまともになる」

 

そして、

「結局のところ、正しかろうが間違っていようが、良かろうが悪かろうが、

自分の人生を精一杯生きるしかない。」

 

「なるようになるし、なるようにしかならない」

 

この辺りが、今の自分の落としどころです。