読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

アクティブラーニング&ICT最前線

ー21世紀型授業づくりへの挑戦。あと読書。ー

ALL関東教育フェスタ2014夏

研修記録

ALL関東教育フェスタ2014夏 | Facebook

 

こちらのイベントの分科会にて、

私の取り組みについてお話をさせていただく機会を頂戴しました。

 

テーマは「アクティブラーニング&ICT」

 

理論的な話や教育界での話はそこそこに、

個人的な取り組みの様子をお話しました。

 

自分が聴く側だったら、

本やネットを調べたら分かるようなことより、

調べても出てこない、現場の生の状況を知りたいと思ったから。

 

今まで公開した事がない、実際に利用している動画や、

授業の様子を撮影した映像・画像をお見せしながら、

何となく時系列に沿ってお話をしました。

(以下、お話していない内容も若干補足的に含めています)

 

---

教員1年目は「学びの共同体」式の、コの字&グループ学習。

 

しかし説明不足と力量不足と連携不足で置いてけぼりの子を生み出してしまう。

 

 

2年目は、いわゆる普通の授業形式の中で、学んで伸びる授業を追求。

 

2年目の3学期終盤。

子どもたちの同意のもと、再びアクティブラーニング型授業へ。

 

子どもたちの顔が変わる。

講義では寝ていたり集中できていなかったりした子も取り組む。

 

グループ学習と言うと心配されるような、

できる子に依存する子や、解答を写して済ます子なんて存在しない。

 

誰だって「自分が出来るところまでは、自分の力でやりたい」

誰もが「学びたい」という気持ちを持っている、

ということを信じていたつもりでも、どこか信じ切れていなかったが、

現実の光景として目の当たりにして改めて気付かされる。

 

校内への授業公開も実施。

見学してくれた先生からは高い評価をもらう。

 

 

3年目から本格的にアクティブラーニングへ取り組む。

 

1学期を終え、手応えを感じるとともに、

グループ学習での学びをさらに深めるための手段を探し出す。

 

授業中の働きかけや課題の工夫はもちろん追求するが、

授業外での時間を上手く活かせないかと模索。

 

「教科書の内容を教えてほしい」という声もあり、

解説の動画があったらどうだろう、と思いつく。

 

動画の取り方を調べているうちに、

すでにそのような取り組みをされている先生もいることを知る。

 

アメリカでも反転授業が話題になりつつあった頃。

「反転授業をやりたい」とは思わなかったが、

自分の方向性で進める後押しになったことは事実。

 

教育×ICT系のイベントに毎週のように顔を出し、

人脈と知識と発想という点で世界が一気に広がる。

 

iPadを使ってみるべく、ダメ元で学校へ打診。

まさかの、研究用に買ってもらえるという嬉しい誤算。

 

学校全体での導入計画を少しずつ進めつつ、

自分の授業での実験的な取り組み。

 

 

3学期。

まずは先生が1台持っているという状態からスタート。

 

問題や解説をスクリーンに映し出し、

拡大しながら説明したり、書き込んで補足したり。

 

板書の時間を大幅にカット。

 

解説のプリントを配布することで、

生徒のノート作成の時間も大幅にカット。

 

説明する、説明を聴く、理解する、という部分に焦点を当てられるようになる。

 

 

同時に、授業の撮影を開始。

 

youtubeで共有することで、

復習の際や試験前、そして欠席時など、

必要な時にいつでも授業を見返せるように。

 

 

3学期の間iPadを数台レンタルし、1グループに1台貸せる状況に。

 

グループで教科書の数ページを担当し、プレゼンする、という取り組み。

 

こちらの予想を遥かに上回る出来。

 

iPadの使い方もほとんど説明せずとも使いこなす。

肝心の解説の内容も、教科書+αのレベルまで踏み入れてくれて、

申し分ない内容。

 

この授業でも校内へ授業公開。

参加してくれた先生方からも高い評価を頂く。

 

 

4年目。

 

3学期にレンタルしていたiPadは返却。

 

iPadの取り組みを継続すべく個人的に8台購入するも、

再び1学期間レンタルできるとの幸運に慌ててキャンセル。

 

 

クラスの生徒へ1人1台の貸し出し。

 

特別視することなく、適度に使いこなす。

 

貸し出す方としては拍子抜けながら、

しかしこの距離感こそがデジタルネイティブたる所以か。

 

授業内よりも家庭学習で利用。

googleドライブにて情報や教材の共有。

印刷の手間がほとんど省けるのはかなり大きい。

授業研究に時間を割ける。

 

 

利用してのアンケートは後日実施の予定。

 

 

1人1台クラスと並行して、別のクラスでグループに1台貸し出しの取り組み。

 

moodleでの教材共有。

 

教科書の解説動画も作成。

予習・復習・試験前・欠席時いつでも見られるように。

特に強制はせず。

 

実験的にスマホの利用も解禁。

iPadよりもむしろ使い慣れている端末の方が便利そう。

 

特にiPadがなくても、スマホを解禁してしまえば、

現状でもできるICT教育も多そう。

 

---

現状までの取り組みはこんなところです。

 

頂いた質問で特に気付きがあったのが、

「1年目のときと2年目終盤のときとで、

アクティブラーニングの取り組みにどのような違いがあったか」というもの。

 

言われてみれば、内容はほとんど変わらず。

 

最初に説明をして、あとはグループ演習、そして振り返り。

 

違っていたのは関係性。

 

1年目のときは、1年生の頭から、

「こういう授業をやります」といって実施。

 

高校の始めからやることで

「高校の授業はこうなんだよ」と伝えられるメリットはあるはずだが、

他の授業が講義中心の授業だったこともあり、

適応できない子も出てきてしまいました。

 

加えて、自分の方も1年目ということで

どこかで自信のなさもあり。

 

そのような意味で、子どもたちも教師も不安があったのが1年目。

 

 

それに対して2年目のときは、

まずは講義型の授業の中で、「分かる授業」を追求。

ちゃんと聞けば分かるんだ、というある種の信頼関係を築く。

 

その上で、日本では講義形式が一般的だが、世界では違う、と、

アクティブラーニング型授業の背景や効果、

そしてグループ学習の取り組み方を説明。

 

試験的にやってみる、ということも共有した上で実施。

 

子どもたちも教師もある意味では余裕があったのが2年目以降。

 

そういう違いではないかと今は捉えています。

 

 

---

もう1つ、参加者の方と話をしていて改めて感じたのが、

「やってみなければ分からないことばかり」ということ。

 

教育の世界で「実験」をすることに拒否反応を示す人や、

そうして挑戦した結果に対して安全な位置から批判だけをする人もいますが、

自分からすると「今までこうやってきたから大丈夫」という考え方の方が余程怖い。

 

誤解を恐れずに言えば、

やってみて、ダメだったら、やめれば良い。

それだけのこと。

 

もちろん何を「やってみる」かは十分に検討することは当然として。

 

そういう取り組みをせずして、大人がチャレンジする姿勢を見せずして、

チャレンジ精神や能力を持つ子どもが育つはずもない。

 

 

アクティブラーニングやICTは、

自分の取り組みとしてたまたま現在まで続いているけれど、

 

この他にも子どもが伸びると期待されたことは色々と試験的に取り組んできて、

(目新しいものばかりでなく、古典的なものも含めて)

中には続いているものもあり、

効果無し、あるいは負担過多と判断してやめたものもあり。

 

 

当然何でもやってみれば良いわけではなく、

事前の入念な検討の必要性はいくら強調してもし過ぎることはないですが、

それでもやはり教育においては、やってみなければ分からないことばかりです。

 

 

時代も社会も子どもも学習方法もテクノロジーも変わる中で、

教育だけが変わらない理由は一つもありません。

 

そして、変わるべき「正しい」方向性は誰も示せない。

教育の効果はシミュレーションだけでは分からない。

事前に適切かそうでないかの判断を「正しく」下せる人なんて存在しない。

 

となれば、やってみるしかありません。

 

めまぐるしい変化に対する緩衝としての役割は学校として必要ですが、

外部から隔離して現状維持なんて、茹でガエルにしか思えない。

 

 

もう一つ、批判ばかりする人を見ると勘違いしているなと感じるのですが、

子どもたちは影響を受けるだけの受け身な存在ではありません。

 

例えば新しいことをするときに、

きちんと説明して取り組めば、適応もするし、判断もするし、選択もできる。

 

そして、良くも悪くも、

新しい取り組みの影響を受けての劇的な変化なんてまず起こりません。

 

変化や効果はいつも気付かないくらい小さな規模で訪れます。

しかしそれらが積もり積もって大きな変化になる。

 

だからこそ、こまめな方向修正のために、

教師という存在が必要なのだと思います。

 

---

というようなことを考える機会となった一日でした。

 

貴重な機会をありがとうございました。