私の経歴と歩みと展望(長めです)

2013年現在、教職3年目、29歳。

都内の私立高校にて数学の教員をしております。

 

もともとは農学部で生命工学(遺伝子研究)を研究しておりましたが、

縁あって大学生チューターとして現勤務校にて放課後の個別指導を担当する中で、

5年以上やっていると自分なりの不満や疑問が出てきて、

「もっと良い教育ができるのではないか」と思うようになりました。

 

その思いは日に日に強くなり、自分なりに勉強し、調べ、考え、

大学院の進学先を、教育か生命工学かで悩むまでになりました。

 

最終的には「自分にしかできないことは、教育にある」と考え、

若い使命感のもと、こちらの道を選びました。

 

教育に進むにあたって、最初にアポイントをとったのが、

東大の佐藤学先生であり、それ以降お世話になっています。

 

大学院では佐藤ゼミの学生として

「学びの共同体」を主とする共同学習について実践事例から学ぶ傍ら、

自分の研究テーマとして、

フィンランドの教育の根にある哲学と背景(スネルマン)

・翻訳論と教育(柳父章

を候補として一時期進めましたが、最終的には

・教師の関係性(アンディ・ハーグリーブズ)

のテーマで修士論文を書きました。

http://sdrv.ms/19vqbja

 

大学院にて進路を考え、教師、教育系企業、国家公務員と検討し、

「現場でがんばっている先生がもっと働きやすくなるようなシステムを作ろう」

文部科学省への道を志していたのですが、

最終的には現勤務校からのお誘いにお応えすることにしました。

 

もっともそれまで教員になる予定はなかったので免許があるはずもなく、

大学院の修了を1年延ばして、教職課程を取り、

さらには「数学科で」と言われたので、数学の単位も取り、

(農学部の授業で理科の単位は足りていました)

もちろん教育実習も行き、「1年で取れちゃうの!?」と驚かれながらも、

何とか1年で免許取得に至りました。

 

教育実習は東大の附属でお世話になり、

自分の未熟さと意識の低さと子どもの人生に対する申し訳なさとで

授業を見学しているか、授業準備を必死でしているか、

授業もどきをさらけ出しているか、泣いているかの日々でしたが、

それでも指導教員を始めとする先生方の厳しさと優しさ、

そして何より教師としての責任感と使命感と、それを実現する実力に惹かれ、

最高の教員になりたいという思いは増すばかりでした。

 

さて、晴れて教員になって1年目。

 

こういう授業をやるぞと意気込んでいた、

学びの共同体モデルのコの字型&グループ学習を全面に取り入れた授業をしました。

 

しかし、当時の子どもたちには大変申し訳ないですが、

やり方が合って伸びる子と、合わずに伸び悩む子とが分かれてしまいました。

 

伸び悩む子の保護者の方からは「普通の授業をやってください」と言われましたし、

きっと数学嫌いも生んでしまったと思います。

 

もちろん当時自分に出せる最大限のエネルギーを注ぎ込んでいたので、

教師という職業に就くものとしても、失敗だったと言ってはあまりにも無責任ですし、

出来る限りの改善も進めたので後悔はしていませんが、

(リフレクションカードを書いてもらう、記述力フォローのためのレポートを課す、

板書プリントを事前に配布して、ノートをとらない授業をする、

全ての授業の指導案を毎回作成し振り返りを行う、など)

それでも振り返って考えるならば、他の選択肢があったのも事実です。

 

2年目は、いよいよ自分の担任クラスを持ち、

学級運営と授業運営の2つの大仕事に携わる生活が始まりました。

 

学級運営の方は、割と厳しめで(高校デビューしたい子からしたら相当でしょうか)、

しかし効果があると思えることは慣習に縛られず積極的に取り入れ、

結果としては、それに応えてくれた多くの子どもたちの力で、

他の先生からも認めてもらえるクラスになるお手伝いができました。

 

授業の方では、基本に立ち返り、

「生徒を戸惑わせない」ことを考え、いわゆる通常の授業を行い、

その中で「良い授業を追求しよう」と試行錯誤を繰り返しました。

 

これも子どもたちの実力のお陰で、相応の成果として表れ、

(残念ながら全員を伸ばすには至りませんでしたが)

先輩の先生からも保護者の方からも

お叱りを受けることはない程度の授業にはなりました。

 

しかし自分の中で、従来型の授業への不満や、

他校の先生方の先進的で効果的な取り組みに対する憧れ、

「もっと効果的な授業のやり方があるはず」という思いが高まり、

3学期に入ってからまた授業形式の改善を試みました。

 

例えばその1つが、ノートを取らないで考えることに集中し、

ノートは復習として自分で教科書や参考書を見て整理する授業でした。

 

「ノートを取らないと不安な子」がいるのはもちろん事実ですが、

しかし思っていた以上には子どもたちの反応も良く、

「集中して話を聴ける」「一番頭が疲れる授業だ」などと言われたり、

想定以上に、ノートをきちんと整理してい作ってくる子が多かったり、

興味深い結果の得られる授業となりました。

 

このやり方は、現在の取り組みにおいても

「まとめプリント」「解答例プリント」を配布して、

板書コピー機になることなく、メモ程度で、解説に集中してもらう、

という方式に活かされています。

 

さらに3学期の末には、いよいよアクティブラーニング型の授業に挑戦しました。

この取り組みについては、カテゴリー「2012年度振り返り」を参照してください。

書き散らしの記事が4つあります。

 

そして3年目の現在。

 

「一貫性」「アクティブラーニング」「反転授業

この3つをテーマとして授業を構成しています。

 

カテゴリーの「2013年度実践記録」も合わせて参照してください。

 

ブログではあまり書いていないのですが、

「一貫性」とは授業から入試までの軸を通すことで、

要するに入試から逆算した授業を行う、ということです。

 

賛否は当然あると思いますが、

授業→課題→定期考査→模擬試験→入試

の流れにおいて一貫性が感じられるよう、

 

模擬試験で「こんな問題、授業で(教科書で)やってない!」

ということがないよう、今の特別進学クラスでは(数学偏差値40~70)、

全員が「偏差値60(河合塾全統模試)を超える」ことを目標として、

 

演習では模試の過去問を扱い、

「基本~標準レベルである(1)(2)までは全員が理解する。

応用・発展レベルの(3)は、将来的には解けるようになりたいけれども、

今は、現在の自分の力で理解できるところまで進む」

「『理解した』と言えるのは、最低限、

白紙の状態から自力で満点の答案が書けるようになること」

という目標共有のもと、グループで演習を進めています。

 

この(1)(2)レベルの問題を、宿題のレポートとしても課し、

(記述を含めて満点になるまで再提出)

さらには定期考査でもほぼ同じ問題を出題し、

(定期考査100点が、全統60レベル)

そして模試においてその成果を自分で確認する、

という流れです。

 

まだまだ全員が60を超えるには遠く、3分の1程度ですが、

クラス平均は57と、60に近づきつつあります。

 

もちろん受験のための数学がベストだとは考えていませんし、

プリントを見てもらえれば分かるように、

原理や証明といった背景の説明は大幅にカットしていますが、

 

前者については、

数学を勉強する必然性が見いだせないまま、

「やらないとダメ」「面白いから」と押し付けられて勉強するよりは、

せっかく大学進学という目標があるのなら、

「試験でこういうことが問われるから、学んでおかないとね」

という必然性の持たせ方を目的として実施しており、

 

また後者については、

「道具としての数学」という側面から学び、

使っていく中で背景に興味を持つ子どもが出てくれば良いと考えて実践しています。

(論理体系としての数学、言葉としての数学、文化としての数学、

歴史としての数学、物語としての数学、美の追求としての数学など、

様々な側面があり、どれも非常に魅力的ですが、

あれもこれもと中途半端になるよりはと、

思い切って道具の側面に光を当てています)

 

そして「アクティブラーニング」については、

もちろん授業の質を高める目的で、

それも方向性としては、「協同の学び」を追究して取り入れています。

 

その目的は、これからの社会を生きていく子どもたちに身に着けてほしい力、

例えばOECDのキーコンピテンシーやATCsの21世紀型スキル、

文科省の生きる力や、あるいは社会人基礎力、学士力、

そして近年のキャリア教育という文脈で語られる力など、

これらは表現は違えど方向性は大体同じであり、

 

要するに、高度知識社会・情報基盤社会・グローバル化社会・多文化共生社会

などと呼ばれる、これからの不確かな不安定な社会の中で、

自分が持っている知識やマニュアルに従って行動するだけではなく、

様々なリソースからいかに効率的に効果的な情報を集めるか(リテラシー)、

そして様々な背景・価値観を持った他者といかにコミュニケーションをとり、

建設的な議論をし、効果的なチームとして活動できるか、

そしていかに創造的に自己を実現して生きられるか、

そういう場面で発揮できる力を身に着けてほしいからです。

 

さらに一方で現実として、大学受験で「成功」を収めることが、

引き続き質の高い学びを得られる権利につながる社会が確かに存在するわけで、

その意味での「学力」も変わらず必要であるからです。

(これがなければもっとクリエイティブな内容の授業をしたいと常々考えています)

 

最後に「反転授業」は、

このアクティブラーニングでの質の高い協同の学びを得るために、

より質の高い子の学びを得る一つの方法として取り入れたいと考えています。

 

したがって必ずしも、予習動画+演習授業、という形態にはこだわらず、

反転授業という定義には引っかからないかもしれませんが、

予習教材としてではなく、子どもの負担にならない、

あくまで自主学習に供するweb教材として、

授業で使う以外の教材を作成し、webで共有していければと考えています。

 

ようやくwebにスペースを確保できたので、

これから取り組みを進めていく段階です。

 

以上が現時点での私の状況です。

 

今後とも精進してまいります。

どうぞよろしくお願いいたします。