佐藤勝彦「気が遠くなる未来の宇宙のはなし」

 

気が遠くなる未来の宇宙のはなし

気が遠くなる未来の宇宙のはなし

 

 

佐藤勝彦さんは語り口が丁寧で分かりやすいです。

一度だけ佐藤学先生のゼミのときにお話をしに来てくださったので、

優しそうなお姿を知っているから尚更、かもしれませんが。

 

眠れなくなる宇宙のはなし」、

ますます眠れなくなる宇宙のはなし」に続く

三部作の完結編です。

 

著者自身も第一夜で述べている通り、

ゴーギャンの「われわれはどこから来たのか

われわれは何者か われわれはどこへ行くのか」

に対応する三部作となっており

(対応は偶然、しかし三部作においては割と必然な気がします。

過去と現在と未来、ですものね)、

 

本書は宇宙の未来がどうなるのか、ということを

天文学らしい実に壮大なスケールで語ってくれます。

 

これを読んでいくと、

100万年以内のベテルギウスの超新星爆発が

本当に「近い将来」なんだなと感じられます。

 

そして宇宙の未来に寂しさを感じたり、恐ろしさを感じたり、

安心感を感じたり、美しいイメージを共有できたり・・・

 

 

こんな風に数学を語れる教師になりたいなぁと思います。

(あるいは子どもたちに様々な世界を語れるお父さんに・・・)

 

教師の役割の大切な部分は、

数学の内容を教えるだけではなくて、

数学の楽しみ方を教えることにあるのだと思います。

 

「内容」は一流の専門家が教える方がきっと正しいし高度だし深いけど、

(だからある意味ではその部分は映像授業でまかなえてしまうのでしょう)

「楽しみ方」は人それぞれだから、

目の前の大人(あるいは同じ学習者として)が

「自分はこういう楽しみ方をしているよ」

ということを語ることは、

他者に代替されない価値を持つのではないでしょうか。

(もちろん他者の語る「楽しみ方」も等価値を有するわけですが)

 

 

「目の前の子ども1人1人に応じた教育をコーディネートすること」も、

当面は映像やwebの学習システムでは対応しきれないであろう部分であり、

これからの時代の教師の役割の1つとして大きな部分を担っていくと思いますが、

 

でもそれはいずれは、

「多様な選択肢」と「適切なコンテンツを提案するシステム」によって

担われてしまうのではないかなと感じています。

 

「楽しみ方」を目の前で「語る」ことは、

きっとシステムでは担えない部分なのではないかと。

 

それも、語りたい人の分を全部録画しちゃって、いつでも見られるように、

という話になるのかもしれませんが、

でも同じ時間と空間を共有している人の間だからこそ伝わるものが、

大げさに言えば、それぞれの人生という糸が絡み合っている瞬間だからこそ

伝わるものがあるのではないかなと思います。